2009年02月21日

バシャール 633島目



内容概略:地球と生命の未来を想う、須藤元気氏が米国のダリル・アンカのチャネルする意識「バシャール」と行った時空を超えた対話の全記録。

感想・学び:スピリチャル的な内容、哲学的な内容が多く掲載されていました。そして一番興味深かったのは地球の未来などを考察するところ。どうしてそんなことを考えられるんだ?というぶっ飛んだ内容も多くありましたが、そのおかげで今の自分の思考の枠を広げることができました。

かなり多くの箇所に線を引きましたし、折り目をつけたのですが、全てを紹介するのは大変。なので、今からふと開いたページの線を引いた所を紹介したいと思います。

1 情熱にしたがって生きるには

そのポイントは恐れを手放すことであると。
「情熱を感じている状態こそ、その人本来のパワフルな自分自身を表現しているのだ。本来の自分のエネルギーを肉的に翻訳して表しているのだ」

うっ、やはり私は「情熱」という言葉と何か縁があるようです。シンクロニシティが働いている・・・。
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神はテーブルクロス 632島目



内容概略:幸福を生み出すヒントを綴る須藤元気氏のエッセイ。

感想・学び:現在は格闘家をやめ、作家、そして都内の大学院で政治学を学んでいる須藤元気氏。私は彼が格闘家の頃から好きでした。トリッキーな動きで相手を倒すその姿。ですが、一番好きだったのは彼が語る哲学的な内容。知的でかつ強い男だなと思い、ファンになりました。

本書でも須藤氏らしいユーモアあふれる語り口が存分に現れていましたし、たとえ話など説明の仕方がうまいなと思わせる箇所が随所にちりばめられていました。

現在目の前にある状況というのは今の自分の思考が作り出しているものなのだということを再確認。

1 内なる平和

本質とは何だろう?真実とは何だろう?何もかも信じるのをやめてみた。自分自身も他の誰も信じない。何が真実、何が真実でないというのはその人のストーリー、解釈にしか過ぎないだろうし、判断した時点で仮想現実になるのだろうから。

どの人もそれぞれの世界で生きている。
p103

2 悩み

悩みに対する須藤氏の考え方。

「悩みを解決するには、視点の焦点をずらすことにより解決策が生まれる。悩みは悩みに対する悩みでしかない。

この言葉に結構救われました・・。エピソードは多数。

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2009年02月13日

「哲学」は図でよくわかる 621島目



内容概略:右ページ解説文、左ページ図という構成で様々な哲学者の思想を分かりやすく紹介している。

感想・学び:新しいものの見方を手に入れたくて。




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2009年02月09日

レヴィ・ストロースの庭 605島目



内容概略:レヴィ・ストロースに対してのインタビューとともに彼が住む家の周りの自然の写真が掲載されています。

感想・学び:レヴィ・ストロースがあれだけ自然と文化について論じることができるのも、実際に自然に囲まれ、絶えず自然に対しての考察を行っているからなのかなと思いました。

それにしてもすごい森に住んでいるな・・・・。

私も感性が鈍ったり、パワーが欲しかったり、宇宙との一体感を感じたい時などは自然の力を借りています。

毎日パワーをもらうことができれば言うことはないのだが。自然に囲まれ、自然を感じながら生きる生活が理想。
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哲学者の語る建築 604島目



内容概略:ハイデガー、オルテガ、ペゲラー、アドルノら四人の哲学者が建築について考察する。

感想・学び:「詩人のように人間は住まう」というのはどういうことなのか?もう少し自分で考えてみようと思います。詩人は一体何を測るのか?自然との距離を測り、言葉にする?神との距離を測り、言葉にする?詩人の特徴は何だろう?あれこれ疑問がわいてきます。

自分がどんな建築物に美なるものを感じるか意識していこうと思います。

サッフォーさん最も美しいものは何ですか?
「ある人は言う、騎士こそが最も美しいものだと。他の人は言う、歩兵だと。多くの人たちは、軍船こそ暗きこの地上で最も美しいものだ、と。
だが、私は言う、人が愛するものこそが、最も美しいものだと。」

詩人サッフォー
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2009年02月01日

無限論の教室 581島目



内容概略:無限は数でも量でもない。一人の先生と二人の生徒との無限に関する講義を綴る。

感想・学び:無限を考察する上で有名な「アキレスとカメ」「アキレスの矢」の話などは高校の倫理の時間に習い、再度あれこれ考えると深い事例だなと思いました。

1 無限に関する二つの解釈
無限に関しては二つの解釈の仕方があります。それは寄せ集め解釈と切り口解釈の二つです。

寄せ集め解釈は、線分には無限個の点が既に存在していると考えます。それに対して、切り口解釈は、あくまでも可能性としての無限しか考えない。それはどういうことか?

線分を切断すれば点が取り出せる。そしてそれはいつまでも取り出し続けることができる。その可能性こそが無限であり、その可能性だけが無限であるという考え方です。

前者は別名「実無限」、後者は「可能無限」とも呼ばれています。

無限に二つの解釈の仕方があるなんて知らなかった・・。私たちが習った数学では「実無限」の考え方が主流ですよね。これは実無限派であったドイツの数学者カントールが無限集合論を作った時の名残であるという小話。

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2009年01月29日

情念論 580島目



内容概略:自己の欲望そのほかの情念を統御する道について考察した本。

感想:考えられうる情念をすべて列挙し、それに対して一つ一つ考察しているデカルトの几帳面さに驚きました。一つ一つは短い説明ですが、深く考察しているものばかりだなと思いました。納得できるもの、反論があるもの様々でしたが、情念のコントロールに役立つ一冊だと思います。

1 いかにして「高邁」の心は獲得され得るか

デカルトの順序立った議論を飛ばして抜粋。

自由意思とは何であるか、自由意思を善く用いようとする確固たる決意を我々が持つということから生じる利益がいかに大きいか、また他方、功名心に取りつかれている人を悩ます心づかいがすべていかにむなしい無用なものであるかを、よくよく考えることにたびたび心を用いるならば、我々は自己の中にまず高邁の「情念」をかきたてることができ、次いで高邁の「徳」をわがものにすることができる。

まずは自由意志の理解、そして功名心に取りつかれている人を悩ます心づかいがいかに無用なものであるか(ここ難しそう、自分も功名心に取りつかれてそうだから)を理解することから始めようかな。

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2009年01月22日

エスプリとユーモア 573島目



内容概略:エスプリとユーモアをそれぞれ定義し、比較し、さまざまな事例を取り上げて解説しています。

感想・学び
1 ユモリスト
ユモリストというのは、ユムール(不機嫌)を抱いて、それを隠さない人、したがって無愛想で、ぶつぶつ不平をいう人間を意味するらしいです。初めて聞いた言葉でしたが、ゼミに一人います。笑

2 ユーモアとエスプリ
両者の違いを簡単に述べると意図しているか、いないかの違いです。ユーモアは無意識的に出てくるもの。それに対して、エスプリは意図的なものです。

その他に違いを挙げるとするならば、発生タイミングかなと思います。ユーモアはこちらから先に出てくるもの。それに対して、エスプリは相手の言葉に対して何か切り返す時に出てくるもの。(例外あり、ユーモアが後から発生することもある)

以上の定義からすると私の構成比:ユーモア:エスプリ=7:3となる。(根拠はないが直感)

「ユーモアというのは人格の根底から生ずる可笑味(おかしみ)であるということになりはせぬかと思う。ほかの言葉で言うと、ユーモアのある人の行為は、他から見ると可笑しいが、当人自身では他から可笑しがられるわけがないと思っている。

彼は真面目である。無意識に可笑味を演じつつある。もう一つ言いなおすと、可笑味が当人の天性、持って生まれた生地から出る。従って取って付けたようには見えない。行雲流水の如く自然である。」
夏目漱石『文芸評論』
より漢字・表現を現代風に直した。

うまい。うまく言い当てている。漱石さんは私のよき理解者になったかもしれない。
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記号論への招待 571島目



内容概略:本書は言語の機能に焦点を当てて、記号論の基本的な考え方を紹介しています。

興味深かった内容

1 「同じ」という言葉の用法
例えば、「同じ人でした」という供述があった場合、そこで意図されているのはほとんど間違いなく、同一人物を指していると思われます。しかし、「同じ犬でした」「同じ花でした」という場合では上記の意図するものと異なってくると思います。

ここで意図されているのは厳密に同一の犬である必要はなく、「同じような犬」であればいいという可能性が出てきますし、同様に「同じ花でした」というのも「同じような花」もしくは同一種類だが、別の花のことを言っているようにその指示するものが厳密に同一でない可能性があります。

「人間」のようにそれぞれの個体が重要な文化的意味合いを担っているものから、「動物」「植物」果ては「無生物」に至るにつれて、「同じ」の意味が「同一性」から「同種類」へと移る傾向があることに面白さを感じました。

2 祭りと詩の関係
どちらも簡単に言ってしまうと「日常」を脱し、新たなルールを設けることによって行う「遊び」のようなものである、と言うことができます。

祭りが一時的な日常からの脱却ということは理解ができる。では、詩が日常からの脱却というのはどういうことか?こんな疑問がわいてきました。

詩というのはある意味、既成の言語ルールを逸脱したものだということがその理由として考えられます。どういうことかというと、詩の中では現実に起こり得ないようなことが述べられたり、日常では使わないような言葉遣いが許されるように、一定の枠内で非日常の姿を現すことが許されるというということです。なるほどそれゆえに祭りと詩は同様な役割を担うのか。

感想:言語のルールから一時逸脱した非日常、すなわち詩は好きです。ですが、祭りにおけるばか騒ぎでの非日常感を味わうのはどうも好きではない・・・。あっ、スポーツ系イベントのばか騒ぎは大好きかも。

言語の機能、そして記号論はとてもおもしろいというのが感想です。
posted by かっちゃん at 12:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

笑い 570島目



人はなぜ笑ってしまうのか?人は何に対して笑っているのか?笑いに釣られて笑ってしまうのはなぜか?などなど笑いに対する疑問が芽生えてきたのでベルクソンの本書を読んでみました。

本書では笑いには様々な種類があるということ、笑いの発生メカニズムなどが事例(主に当時の喜劇)を通して考察・分析されています。

自分なりに笑いというものをきちんと考察していなかったため、笑いのメカニズムを理解するには至りませんでたが、今後笑いを考える上では非常に有益な本でした。

今度、笑ってしまう状況に出くわしたら、なぜ自分は笑ってしまったのか?何に対して笑っているのか?(実はこの対象はあいまいだと思います。落語を聞いていても落語家という人そのものに対して笑っているわけではない。語っている話の内容に笑っている。ということは言語が作り出すイメージに対して笑っているのか?)などを考えていきたいと思います。

・苦笑
・つられ笑い
・繰り返しに笑ってしまう理由(同じ日に同じ人に三回ぐらい会うとなぜ笑ってしまう?本書に考察あり)
・ひっくり返しに笑ってしまう理由(ある言葉が二つの意味を持ち、誤解によって笑ってしまう)

本のいいところは自分の知らない考え方、面白い物事の見方を提示してくれることがその一つにあると思う今日この頃。今日も世界の見方を広げるため、新しいものの見方を発見する。


posted by かっちゃん at 11:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

イラストでわかるやさしい哲学 568島目



先ほど紹介した本と役目は同じですが、こちらはイラストが豊富な分、パラパラめくって読むだけでも面白いです。ウィトゲンシュタインの「写像関係」の図はよくできていて、理解の助けになりました。
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論理哲学論考 566島目



ある友人が好きなウィトゲンシュタイン?野矢茂樹氏?(どちらだろう?どちらもかな?)の影響もあって本書を読んでみました。

「およそ語られ得ることは明晰に語られ得る。そして、論じ得ないことについては、人は沈黙せねばならない」という言葉にあるように、彼は言葉で語られないものを浮き彫りにするために本書を書いたのだと思います。

彼が考える言葉で語れるものとは、「今日は雪が降っている」という真偽を判断できるもの。そして、言葉で語れないものとは「神はいるのか?」「死後はどこに行くのか?」など真偽を判断できないもののことを指します。

ウィトゲンシュタインは真偽の判定できないものはナンセンスだとしていますが、なぜか真偽の判定のできないものには考えさせてしまう魅力のようなものがある気がします。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
論理哲学論考
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2009年01月18日

方法序説 563島目



デカルトの代表的な著書。学問の世界にどっぷり浸かり、その後学問の世界で得た真理と思われていたものを一度拭い去るために、旅に出て、自分の中で真理を獲得する方法を身につけたデカルト。

一度身につけたものをあえて疑ってかかり、その土台を揺るがしてまで、自分の納得のいく真理を突きつめた姿勢がすごいと思いました。私の場合は今まで身につけた真理を(真理だと思っていることを)疑い、それが崩れてしまった場合の恐ろしさに足がすくんでしまうでしょう。

しかし、世の中真理だと思われていることも突きつめて考えてみると覆されてしまうこともあるので、一段高いところから冷静に考え、自分が納得する真理に照らして考えていきたいものです。

かくて私は、私の行動において明らかに見、確信を持ってこの世の生を歩むために、真なるものを偽なるものから分かつすべてを学びたいという、極度の熱意を持ち続けた。 

デカルト的考察方法 ほんのわずかなの疑いでも掛けうるものはすべて、絶対に偽なる者として投げ捨て、そうした上で、まったく疑いえぬなにものかが、私の信念のうちに残らぬかどうか、を見ることにすべきである、と考えた。

面白かった文章
「私は自分の著書を人々に吟味してもらいたいのである。そしてその気になってもらう機会を多くするために、何か反対論を持たれる方はどなたでも、それを私の書店に送ってくださるようお願いする。そうすれば書店から通知を受けて私は同時に私の答弁を添えるように努めよう。」

やった〜、デカルトとやり取りができるんだ〜!!・・・できるわけないな、時代が違いすぎる。笑

ですが物理的空間でデカルトと対話できなくても、こうして書物を通じて時空を超えた対話ができるのはうれしいですね。(対話は一方的になることもしばしばある。時折、私の浅い疑問に偉大なる哲学者たちが答えている文章を見ると対話が成立しているかのごとき錯覚を覚えるのである。)
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2009年01月17日

怒りについて 562島目



先日実家に帰った時に飲み会でふと発した一言「怒りの感情って何であるんだ?怒りって百害あって一利なしじゃないの?」が端緒となって本書に手が伸びました。こうした疑問に対してセネカに解決してもらおうと。

怒りについて個人的に思うのは、怒りは誰しも起こるものであるが、心の狭い人間(多様性に乏しく、いろんな人の価値観を受け付けられない人間)、小心者、理性の力が乏しく情念を抑えられず、獣のような人間などなどにとくに起こるものだと思われます。

こうしたことをふと思っていて、怒りを抑え、セネカのいう徳のある人を目指して行きたいなと思いました。本書では怒りの原因、怒る人はどんな人か、怒りに対する対処法などが説明されています。

セネカは論理的に怒りについて語ってくれていますが、私はその論理を端折り赤線を引いたところを書き記しておきます。

・「怒りとは、不正に対して復讐することへの欲望である。自分が不正に害されたとみなす相手を罰することへの欲望である」またある人は「怒りとは、害を加えたか、害を加えようと欲した者を害することへの心の激動である

自分が蔑まされていると感じたとき、自分に対する扱いが不当だと感じた時に怒りは起こりやすいものであり、怒りが怒りを生みやすいなという自分の考えと似ている定義でした。

・怒りは抑える方が良いのか、それともどこかでひっそり発散する方がいいのか?という素朴な疑問。

その疑問に対して、セネカいわく「最初に危険極まるものは、支配するより締め出す方が、いったん認めてから抑えるよりは認めない方が簡単である。なぜなら、そうしたものは、一度己を占者のうちに置かせたならば、支配者より強力になり、自分が取り除かれるのも切り詰められるのも許さないからだ。

次に、手綱をとる理性そのものが強力であるのは、それが情念から隔てられている間でしかない。情念と混ざり、自らを汚してしまうと、押しのけることすらできたはずの所を、持ちこたえることさえできなくなる。

精神は一度揺り動かされ、ぶちつけられると、駆り立てるものに仕えることになるからである。」

・立川談春師匠が以前どこかで述べていた「私は怒りを推進力にしてしか成長することのできなかった哀れな青年でした。」という言葉を思い出し、これは私にも当てはまることだった。

何かに悔しがり、自分に対して怒り、それを推進力にして前へ向かっていくという姿勢。セネカいわくこれはどうやら怒りではないみたいですね。

なぜなら、もし怒りが理性の言うことを聞きいれて、支持される通りに従うのなら、それはもはや怒りではない。怒りの特性は頑固さだからである。と。

怒れる者の言辞を信ずべき理由はない。たとえその声音が大きく、威圧的でも、内側は怯えきっている。

あの偉大なる精神、自己の真実の判定者は、不正の報復を求めなどしない。感じないからである。槍が固いものに跳ね返され、強固なものを打てば、打つ手に痛みが返るのと同様、いかなる不正も精神に己の業を感じさせることはかなわない。

どんな槍を持ってしても貫通できないもののように、あらゆる不正、あらゆる侮辱をはねつけることのほうが、どれほど美しいことだろう。


怒りに打ち勝つほど強固な精神力を身に付け、徳ある人間に近づいていこうっと。怒りの対処法は本書に譲ります。
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2008年12月21日

ダライ・ラマ愛と非暴力 537島目



最近の習慣は夜寝る前に心を落ち着かせるべく、瞑想をしています。瞑想に関してアンテナを張っていたところ、ダライラマに行きつきました。心の平静を保ち、良き動機を持って、現在の行為(カルマ)を積み重ねていくことを通して、未来に向かっていこうと思います。

近頃思うのは自分の幸福感は心が穏やかな時に芽生えてくるということです。当たり前のことかもしれませんが、何かにあせっていたり、不安なことがありすぎると、幸福感は一切感じない。

焦りや不安な気持ちを押さるべく、瞑想を行い、心に波風を立てない状態にする。そうすると、幸福感を得やすいかなと思います。

自分の中で心がきれいな状態、汚い状態という区別が分かりはじめ、幸福とは心がきれいな状態を指すように思えます。

内容:
私たちの心は、下界の対象に完全に散乱しており、それゆえ無力です。例えるなら、あらゆる方向に分散して流れていく水のようなものです。しかし、水は一定の方向に流れるようにしてやれば、強力な力を持つことができます。心もまたしかりです。

ですから、心の流れを一定の方向に流れるようにしてあげることが重要になってくる。では、どうやったら心を一定の方向に流すことができるのか?

ここで、瞑想の登場です。具体的な瞑想方法は本書、他の本に譲ります。自分の瞑想法での問題点は対象が定まっていなかったこと。過去のできごとや未来の出来事に思いを馳せ、それらを瞑想の対象にしていた。イメージトレーニングとしてはいいのかもしれませんが、瞑想とは言えないようです。

瞑想対象をあれこれ分散させるのではなく対象の固定化を意識してやっていこうと思います。

・カルマ
仏教の「未来は自分自身にかかっている」というような考え方が好きです。非常に潔い考え方ですね。自分の主人は自分自身であって、すべてが自分自身にかかっている。自分自身の心の在り方、そして行為が問われてくる。

悪しき行為(カルマ)を行えば未来の物事は悪くなり、善き行為を行えば未来の物事は善くなっていく。ここでいう行為(カルマ)は身体的な動作のみならず、言葉による行為も含まれます。

ですから、日々の行動・言動に気を付け、善きカルマを積んでいきたいものです。驕った心や怒りを抱き、心が不善なものにならないように注意。

私自身まだまだセルフコントロールが下手なので、日々精進していきたいです。

今後読みたいダライラマシリーズ
・ダライラマ ハートフル・メッセージ
・  ’   365日を生きる智慧
・  ’   般若心境入門
・  ’   至高なる道
・  ’   心の修行
・  ’   慈悲の力
・  ’   智慧の眼をひらく

・  ’   他者と供に生きる   

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2008年12月17日

人間教師 534島目



須永博士氏の珠玉の言葉がちりばめられた詩集です。この本の中に書かれていることを心に噛み締めながら日々生きています。くじけそうになったときや人生に不安を感じているときに読んで、自分を奮い立たせています。

自分にとっての救いの書。
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2008年12月13日

「哲学実技」のすすめ 532島目



著者の中島氏が「無用塾」という哲学塾を開き、そこでの生徒との対話を基に本書が書かれています。

自分の頭ではなく、体で考えよというコンセプトを基に、世間語でもなく、哲学用語でもない、自分の心から湧きたつ言葉を語ることの必要性を説いていました。体で考えるというのはこのように自分が思っている、考えていることを素直に表現するということです。

自分の思い・考えを素直に表現しますから他者との対立も当然起こってくる。対立を避けながら生きてきた私達の多くはこの訓練に戸惑ってしまうでしょう。

ですが、つらくてもあえて体で考え、自分の思い・考えを素直にぶつけてみることで思考の体力が付いてくると思います。
posted by かっちゃん at 10:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月01日

ブッダの人と思想 523島目



なかなか欲望から逃れられない、自己中心的な考えから逃れられないそんな苦しみが私にはあったのですが、本書はその救いの書となりました。

欲望を滅尽し、死を超越する道を見つけ出したブッダ。形あるものは一切が無常であり、苦しみであり、我ならざるものであるとし、涅槃に至ったブッダ。ブッダの内省力には脱帽しました。

本書はブッダがどのようにして涅槃に至ったのかその方法や過程が記されており、またブッダと弟子との問答も掲載され、かつその教えが非常にわかりやすく解説されている素晴らしい書だと思います。

自己こそ己の主であるということをはっきり認識し、精神の安定統一を目指し、欲望のコントロールをしていきたいと思います。

人生で苦しいとき、自分を見失いそうになったときに読み返す一冊です。
posted by かっちゃん at 09:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

もの・こと・ことば 521島目



「もの・こと」に関してはあまり興味を持っていなくて何が書かれているのかよくわかりませんでした笑 自分に興味がない所を読み解くのは実に難しい。

ですが、「ことば」に関しては非常に興味があったので楽しく読めました。言葉という記号であれこれ考えたり、言葉という記号がイメージとなったり、言葉によって他の人と関わりあっていけるそんな不思議な力が言葉にはあると思っています。

ある一般名詞を言葉で発したとき、その言葉を知っていれば各人がイメージを何か浮かべると思います。しかし、そのイメージも各人違うはず。イメージを作り出す言葉の不思議さ・・・。

言葉に対して何か考えが深まったのかどうかはわかりませんが、本書を読んで言葉の持つ魅力、さらにはどんな時限界が見えてくるのかなど、言葉を考える取っ掛かりができました。
posted by かっちゃん at 11:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月20日

生の社会学 487島目



「生」についての考察を深める本です。日頃「生」を意識するのは難しい。なぜなら今、私たちは目の前の「生」を生きているから。あまりきちんとした理由ではないですね。あくまで自分の場合、「生」を認識することが難しいのは、生きていることが当たり前に感じてしまい、その「生」を真正面から向き合う必要に迫られていない、考える必要性が弱いからということです。

生とよく対比される「死」というもの。これが目の前に突きつけられたとき「生」が意識されるのかもしれません。ですが、本書の著者は生と死を対比的な言葉としてとらえるのではなく、対比せずとも「生」を考える契機を与えてくれました。

無題.JPG

作成した図がきれいに拡大できませんでした・・・。

そのほかに参考になったのは、私たちが生きる意味空間=状況+言葉+自己(勝手に式にしました)という式をタッチの上杉達也の例を用いて説明しているところが興味深かったです。

言葉で自己を二重化し、浅倉南に告白するシーン。
posted by かっちゃん at 10:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思想・哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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